【連載】れいコラム No.24 #保育

いつもこのコラムを連載させて頂いている、週刊「とばめぐみニュース」。2週間前に発行された No.228 号でとば議員が詳しく取り上げたのが、さいたま市の「放課後子ども居場所事業」(仮称)です。
この事業の問題点は、ごく簡単にとらえるなら、誰でも利用できるようにするかわりに子ども達の「保育」を放棄して、「物理的な居場所提供&ただの見守り」にすり替える、という点だと思います。

先日、子どもの学童を経由して、この事業についてのアンケートに回答するよう市からプリントが来たので、回答しました。
「就労要件を満たさずとも、月4千円で17時まで子どもが小学校内で過ごせる事業があれば利用したいか?」との趣旨の設問がありました。「子どもを保育する」という表現をうまく避け、保護者の負担軽減ばかり強調する文章に、ずるさを感じました。「多くの保護者が希望しているので進めます」と言うための誘導か?と疑いました。

活気にあふれ、思った事が即言葉や行動につながるのが子どもです。子どもの集団には日々、ケンカやいわゆる「ヒヤリ・ハット」 な事、予期せぬ出来事が色々と起きるのが当たり前です。だからこそ学童保育には定員が設定され、指導員が子ども達に関わり、安心・安全な集団にしています。
個々の指導員のキャリア、あるいは人数自体が不足するなどして、指導員の影響力が弱まると、たちどころに子どもの集団は不安定になっていきます。力のある一部の子が集団を牛耳るようになったり。悪ノリ、悪ふざけ、いじわるなどで嫌な思いをさせる子ども、させられる子どもが出てきたり。物が壊される事が多くなったり、場合によってはけが人が出たりもします。私と子ども達は、これまでの10年間で身をもってその事を体験してきました。

私達保護者が必要としているものは、「物理的な居場所&ただの見守り」ではなく、自分に代わって責任をもって子どもを預かり、育んでくれる「保育」 であり、安心・安全な子どもの居場所です。

【連載】れいコラム No.18 #海洋放出

福島第一原発の「汚染水」。政府は「処理水」という呼び名にこだわりつつ、8月24日、とうとう海に流し始めました。放出は本当にやむを得ない事なのでしょうか。水の安全性は本当の所、どうなのでしょうか。

国際環境NGO「グリーンピース」や「Friends of the Eearth Japan」のサイトにわかりやすく書かれていました。まとめると
①「トリチウム以外は基準値以下」というデータは、水を溜めている大量のタンク群のうちごく一部のタンク(全体の3%)での測定値
②全体の70%のタンクで基準値超えの放射性物質を検出
③東電は「基準値超えの水は再処理して放出する」というが、何を・どれだけ・いつまで放出するのか試算すら提示していない
④大型タンク貯蔵やモルタル固化など「実現可能な代替案」が提案されているのに政府は向き合おうとしない

この「なしくずし式」の海洋放出は、あまりにもずさんで無責任な所業ではないでしょうか。
事実を一人でも多くの人に知ってほしいです。

【連載】れいコラム No.17 #夏休み

7/22~8/28 まで、小5と小2の子どもが夏休みでした。これまで長期休みは保育園や学童保育にお世話になってきましたが、今年は諸事情により家で過ごさせる事が多くなりました。
子ども達を「家庭だけで見る」日々は、産育休の時以来でしたが、とてもプレッシャーでした。そもそも平日は仕事で、子ども達を置いて家を出るしかなく、「見る」事すらできませんでした。

去年までは、毎朝保育園や学童保育に送りさえすれば、保育士さんや指導員さんがバトンを引き継ぎ、集団の中で思い切り体を動かして1日過ごさせてくれるので、安心して仕事に行けました。それがどんなにありがたい事だったか、今回身に沁みました。

保育園や学童保育は、ただバトンを受け取るだけでなく、子どもが 「安心・安全に、居心地よく過ごせる」 状態で預かってくれるからこそ、預けられます。
「安心・安全に、居心地よく」 …。とても難しい事だと思います。子どもの集団は大人の集団とは違います。保育者は、例えば学童から公園などへの移動の際、車道に飛び出すなど危険な行動がないよう、目を光らせます。外遊びの間も、危ない事をさせないよう遊びながら全体を見ています。外遊びをしたい子、室内で遊びたい子、元気な子、寝不足な子、風邪気味の子、、、色々な性格や体調の子がいる中、それぞれが居心地よく過ごせるよう配慮します。子ども同士ゆえ小さなトラブルは日常茶飯事なので、子ども同士で解決できない場合は保育者が間に入ります。

「安心・安全に、居心地よく」 過ごすためには、保育者が子ども1人1人にきめ細かく配慮して対応することが欠かせません。でも今、保育園や学童保育に対する日本の予算はあまりにも少なく、必要な人数を確保したり、長く働き続けて経験値を積んでいく事がとても難しい状況だと思います。
通園バスでの置き去り事故や、保育中の暴言や暴行など、いたたまれないニュースも頻繁にあります。必要な予算をつけない悪い政治のしわ寄せが、保育の現場に、子ども達に、もろに行ってしまっているのを苦しい思いで感じています。

【連載】れいコラム No.8 子育ての現場から

「自分の事で精一杯。結婚なんて、子どもなんて、とても…」 長らくそう思っていた私ですが、36歳の時、ふとした縁で結婚しました。
経済的に厳しい中、子どもは迷いましたが、 「産んでみたら何かがあるのかも…」 漠然とした直観で、 37歳で出産しました。

いざ生まれてみると、人生が急に変わった感じがしました。テレビのニュースが突然、自分事として感じられる。食べ物の安全性や、環境問題が気になる。日本の将来が心配…。
身の回りで起きる色々な出来事が、子どもを通じて「自分事」として感じられるようになりました。

子育ては楽しいですが、同時に地獄のようでもあります。仕事で疲れて家に帰って、家に帰ってからの方が忙しい日々。睡眠時間は4時間。休日はなく、終わりもなく、代わってくれる人もいない日々…。

子育ては、お金も、労力も、ものすごく掛かります。我が家は共働きでないとやっていけません。働きながらの子育ては、苦しいです。
柔軟にやれる仕事の人はいいな。親が近くにいて頼れる人はいいな。夫と家事を沢山シェアできている人はいいな。そういう状況が作れなかった自分は、だめだな、、、。 帰宅して家事をやれずぐったりしてしまう自分は、だめだな、、、。落ち込んでしまう事もしばしばです。

でも、私なりに善戦している気もします。そもそも、柔軟にできる仕事や、頼れる親などの 「切り札」を、沢山持っていなくても。超人のように強い体と心を持っていなくても。産みたいと思う色々な人が皆、安心して産めて、死ぬほど頑張らなくても、楽しく子育てできる。そんな社会でなければ、出生率も増える筈がない、と思うのです。
今の日本は、そんな社会ではないと思います。全ての国民に冷たい。子どもにも、冷たい。子育て中のお父さんお母さんにも、冷たい…。

安価に安全に育児をシェアできるサービス。十分な経済的支援。状況に応じて働き方を柔軟に調節できる雇用制度。などが、本来、社会に欠かせないと思います。
だから、考えれば考えるほど、政治が大切。普段から政治に関わりたい。選挙に行くだけが政治じゃない。この認識を広げて行けたらと思います。

そしてもう少し、できない事を受け入れて、自分や周りを責めず、寛容に、子育てと家事と仕事を回せたらいいのに、と思います。

【連載】れいコラム No.7 学童保育

「すっごい楽しかった!」 上の子が初めて学童保育に行った日、迎えに行くと、パーッと明るい顔で戻ってきました。
靴も靴下も泥んこ。ここまで思い切り遊ばせてくれるのか…!ありがたい、と心から思いました。

「異年齢で群れて目一杯遊ぶなんて、古き良き昔の話だ…。」 と思っていましたが、学童は正にそんな場所でした。
揉めごとも起こりますが、それも含めて貴重な経験の場です。

学童の指導員さんは、子ども達と一緒に走り、遊びます。安全に配慮し、揉めごとがあれば仲裁し、どの子も居心地よくいられるよう場を保ちます。
愛情はもちろん、心身のタフさ、観察力、判断力など、様々なものが問われる難しい仕事で、拘束時間も長いのに、低賃金です。担い手が少なく、どの学童も綱渡りの運営です。

学童保育に出される補助金のうち 「処遇改善費」 というものがあります。指導員の人件費への補助です。
1クラブあたり300万円まで出せる制度ですが、さいたま市は1クラブ100万円ずつしか出しません。
ゆえに市内の学童は、たいてい正規指導員2人体制で、後はアルバイトです。人件費がぎりぎりなのです。

コロナなど様々な事態に対応しなければならない現場で正規2人というのは、あまりに厳しいです。
大所帯で正規 3人体制を取っているクラブは、保護者が割高な保育料を負担しています。

「少子化」と、さも難しい問題のように政府やマスコミがいうのは、当事者の私から見ればこっけいです。
「とぼけるのはもういいから、さっさとお金を出しなさい!」 言いたい事はそれに尽きます。
子どもの事に限らず、価値あるものやサービスを生み出し、支えているのは、人なのですから…。