【連載】れいコラム No.8 子育ての現場から

「自分の事で精一杯。結婚なんて、子どもなんて、とても…」 長らくそう思っていた私ですが、36歳の時、ふとした縁で結婚しました。
経済的に厳しい中、子どもは迷いましたが、 「産んでみたら何かがあるのかも…」 漠然とした直観で、 37歳で出産しました。

いざ生まれてみると、人生が急に変わった感じがしました。テレビのニュースが突然、自分事として感じられる。食べ物の安全性や、環境問題が気になる。日本の将来が心配…。
身の回りで起きる色々な出来事が、子どもを通じて「自分事」として感じられるようになりました。

子育ては楽しいですが、同時に地獄のようでもあります。仕事で疲れて家に帰って、家に帰ってからの方が忙しい日々。睡眠時間は4時間。休日はなく、終わりもなく、代わってくれる人もいない日々…。

子育ては、お金も、労力も、ものすごく掛かります。我が家は共働きでないとやっていけません。働きながらの子育ては、苦しいです。
柔軟にやれる仕事の人はいいな。親が近くにいて頼れる人はいいな。夫と家事を沢山シェアできている人はいいな。そういう状況が作れなかった自分は、だめだな、、、。 帰宅して家事をやれずぐったりしてしまう自分は、だめだな、、、。落ち込んでしまう事もしばしばです。

でも、私なりに善戦している気もします。そもそも、柔軟にできる仕事や、頼れる親などの 「切り札」を、沢山持っていなくても。超人のように強い体と心を持っていなくても。産みたいと思う色々な人が皆、安心して産めて、死ぬほど頑張らなくても、楽しく子育てできる。そんな社会でなければ、出生率も増える筈がない、と思うのです。
今の日本は、そんな社会ではないと思います。全ての国民に冷たい。子どもにも、冷たい。子育て中のお父さんお母さんにも、冷たい…。

安価に安全に育児をシェアできるサービス。十分な経済的支援。状況に応じて働き方を柔軟に調節できる雇用制度。などが、本来、社会に欠かせないと思います。
だから、考えれば考えるほど、政治が大切。普段から政治に関わりたい。選挙に行くだけが政治じゃない。この認識を広げて行けたらと思います。

そしてもう少し、できない事を受け入れて、自分や周りを責めず、寛容に、子育てと家事と仕事を回せたらいいのに、と思います。

【連載】れいコラム No.7 学童保育

「すっごい楽しかった!」 上の子が初めて学童保育に行った日、迎えに行くと、パーッと明るい顔で戻ってきました。
靴も靴下も泥んこ。ここまで思い切り遊ばせてくれるのか…!ありがたい、と心から思いました。

「異年齢で群れて目一杯遊ぶなんて、古き良き昔の話だ…。」 と思っていましたが、学童は正にそんな場所でした。
揉めごとも起こりますが、それも含めて貴重な経験の場です。

学童の指導員さんは、子ども達と一緒に走り、遊びます。安全に配慮し、揉めごとがあれば仲裁し、どの子も居心地よくいられるよう場を保ちます。
愛情はもちろん、心身のタフさ、観察力、判断力など、様々なものが問われる難しい仕事で、拘束時間も長いのに、低賃金です。担い手が少なく、どの学童も綱渡りの運営です。

学童保育に出される補助金のうち 「処遇改善費」 というものがあります。指導員の人件費への補助です。
1クラブあたり300万円まで出せる制度ですが、さいたま市は1クラブ100万円ずつしか出しません。
ゆえに市内の学童は、たいてい正規指導員2人体制で、後はアルバイトです。人件費がぎりぎりなのです。

コロナなど様々な事態に対応しなければならない現場で正規2人というのは、あまりに厳しいです。
大所帯で正規 3人体制を取っているクラブは、保護者が割高な保育料を負担しています。

「少子化」と、さも難しい問題のように政府やマスコミがいうのは、当事者の私から見ればこっけいです。
「とぼけるのはもういいから、さっさとお金を出しなさい!」 言いたい事はそれに尽きます。
子どもの事に限らず、価値あるものやサービスを生み出し、支えているのは、人なのですから…。

【連載】れいコラム No.6 入管法の問題

今、若い人を含む多くの人が「ありえない!」と怒っている「入管法改正案」。この問題を、私はつい最近まで、ほぼ知らずにいました。なぜここまで大問題になっているのか…?素朴な疑問から学び始めました。

まず知ったのは、政府が「不法滞在」と呼ぶイメージとは裏腹に、様々な理由で、日本に来ている外国人が 「非正規滞在」となってしまうことは普通にありえる、ということです。
例えば、母国の戦火を逃れてきて、難民認定を待っている人。働きに来たけれど解雇されたり、劣悪な労働に耐えかねて辞めてしまった人。お金が尽きて帰るに帰れない人…。

そして、出入国を管理する「入管」の、一言でいえば「闇」。難民認定や在留特別資格、収容などの判断がほぼ入管の独壇場で、明確な基準もなく、ブラックボックスとなっています。

私が最も問題を感じるのは、「帰る」と言うまで何年でも、入管の一存で「収容」と称して拘禁する運用です。国連機関から「拷問」と指摘されています。
ウィシュマさんが亡くなったのも、この収容中です。収容施設という密室の中でおぞましい目にあっていた事が、小出しにされる証拠の中から明らかになっています。

非正規滞在状態の外国人は、例え収容施設を出ても 「仮放免」という扱いになります。就労が禁じられ、健康保険も禁じられ、移動も制限されて、生殺しのような状況に置かれます。

政府は「不法滞在」の違法性や犯罪性を強調し、より強権的な対応が必要、と主張しています。でも国会で審議する中で、ずさんな認定審査の実態が明らかになったり、非正規滞在外国人の殆どは犯罪とは無縁の、帰るに帰れない事情を抱えている人である事が明らかになったりして、改正案の前提はとっくに崩れています。

共産党や立憲民主党などはこの改正案に反対し、共同で対案を出しています。入管とは独立した認定機関を設ける事。どんな時も人権を最優先に配慮する事。国際法に則った認定基準を設けて対応する事。やむをえず収容する場合にも期限を設け、裁判所を介在させる事、など…。まっとうだと思います。

自民党、公明党、維新の会、国民民主党の4党は手を取り合って、改正案を通そうとしています。
テレビも大新聞もグルで、とにかく実態を報じない。ボロを出しても報じない。対案も報じない。ひどいですね。
数の力で、法案は通されてしまうかもしれませんが、沢山の人がもう気づいて怒っていて、この4党の所業を許さないし、今後も声を広げていくと思います。私もその1人です。