【連載】れいコラム No.30 『#人権週間』だったのか…!

「ご存じですか? 12月3日から10日まで『人権週間』です」 先日子どもがもらってきた「学校だより」に、そんな校長先生のコラムが載っていました。
調べてみると 「人権週間」 とは、1948年に国連で 「世界人権宣言」 が採択された事を記念して、その翌年から国内で定められた 「人権に関する啓発期間」 の事でした。48歳にして初めて知りました。

「人権」 という、あらゆる権利の根本にあると言ってもいい重要な概念が、日本では十分 「啓発」 されていないように思います。そして、今私達の周りで立て続けに起きている様々な異常は、「人権がまともに守られていない」 という事に集約されるように思います。

校長先生のコラムには、「わが校では、低学年は 『差別に気づく』、中学年は 『差別をしない』、高学年は 『差別を許さない』 を重点として取り組んでいます」 とありました。
「人権意識」 は、人権問題だと 「気づく」 事から始まり、育てていくものなのだ…と気づかされました。

#人権週間』だったのか…!

【連載】れいコラム No.29 それは疲れるよね… #昼休み

私の子どもは今、小5と小2ですが、2人とも 「疲れた」 「勉強が嫌い」 「学校を休みたい」 と、よく言います。
遊びざかりの年頃で、友達もいて、授業がわからないわけでもなさそうなのに、なぜ休みたがるのだろう…と、不思議に思っていました。

そんなある日、子ども達の時間割を見ていて、「昼休み」が全くない日が週2日ある事に気づきました。
給食後、簡単にゴミ拾いをしてすぐ5時間目。残り3日も掃除後の15分だけが昼休み。そして放課後は急かされて下校。
私の小学生時代は、確か昼休みは午前中の20分休みより長く、掃除は放課後にして、帰りに図書室に寄ったりする事もできたのに…。

教員経験者の方に聞いた所、今は先生方が多忙で、研修時間確保のため子どもを早く帰さざるを得ないとの事でした。
先生方の厳しい働き方と、それが子どもにもそのまま反映している問題を、改めて見た思いです。

れいコラムNo.29 それは疲れるよね… #昼休み #放課後

【連載】れいコラム No.28 袴田さん事件を知って #袴田事件

共産党の先輩から教えられて、今年から「国民救援会」の会員になっています。国民救援会は、冤罪事件被害者の支援活動などを行っている人権団体です。会報を読み、「冤罪」というあってはならないはずの事が、現実には少なくない事を知りました。そしてその背景に自白の強要問題や、再審請求が容易に通らない制度上の問題がある事を知りました。

袴田巌さんの冤罪事件について、最近の報道で知りました。袴田さんは1966年の逮捕以来57年間、無実を訴えてきました。2014年、再審請求を受けた静岡地裁の村田裁判官(当時)が「証拠は捜査機関による捏造の疑いあり」と踏み込んだ上、「これ以上の拘置は耐えがたいほど正義に反する」と述べて釈放を決めました。今、再審が戦われています。検察側の往生際の悪さに憤るとともに、袴田さんと支援者の方々の頑張りに心打たれ、一刻も早い無罪確定を願っています。

れいコラム No.28 袴田さん事件を知って #袴田事件 #日本国民救援会

【連載】れいコラム No.27 #新自由主義 とは…

先日、見沼区在住の「まん中世代」党員の集まりに顔を出しました。その時、ある40代の党員の方が「いわゆる『新自由主義的』考え方が社会にはびこっている。私自身の子どもにも、そういう考え方を感じる時がある」と話していて、印象に残っています。
格差と分断を広げ、苦しい人が圧倒的に多くなるはずの「新自由主義」が、なぜ人気なのだろう…と、ずっと考えています。

「強者ほど得をする」社会こそが「公正だ」という感覚。「弱者に寄り添う」訴えを「かっこ悪い」とか「図々しい」と感じてしまう感覚…。人間の尊厳への理想を掲げた党の綱領に感銘を受けて入党した私なのに、心を見つめてみれば、そんな感覚が深々と根を下ろしている事に気づかされます。

私はさんざん「ブラックな働き方」を経験し、仕事・家事・育児で睡眠は毎日3-4時間、貯金はゼロ。苦しい生を生きているのに、諸悪の根源ともいえる「新自由主義的」な価値観を受け入れている…。一見不可解なこの心理の根底にあるのは、「弱者になりたくない」という無意識の恐怖なのかもしれません。

れいコラム No.27 #新自由主義 とは…

【連載】れいコラム No.26 パレスチナとイスラエル #パレスチナ問題

「ハマス」によるテロと、「自衛」と称してガザ地区を蹂躙していくイスラエル。イスラエルは圧倒的な軍事力で、ガザ地区のライフラインを遮断し、難民キャンプ、学校、病院、救急車まで空爆。民間人も、子どももお構いなし…。

かつて大量虐殺を経験した民族が、なぜ他の民族に同じような事ができるのか。どれほどの憎悪を塗り重ねれば、ここまで残酷になれるのか…。日本で育った私には想像を絶するものがあり、茫然としてしまいます。

パレスチナの地には、二千年以上に渡る民族と宗教の因縁があります。第二次世界大戦後、その地に半ば力ずくで、悲願だった国家を築いたイスラエル。しかし、一方的に追い出されたパレスチナの人々の屈辱と憎悪もまた、想像に難くありません。

ハマスは、日本の報道では「イスラム過激派」とか「テロ組織」として紹介されるので、私も、その一面しか知りませんでした。でも調べると、もともとはガザ地区で社会福祉活動を行ってきた団体でした。それが、パレスチナの人々の間でイスラエルへの反発が高まる中、武力をも行使するようになり、また政党としても活動を広げてきました。

今、イスラエルが行っている事は、「報復」や「ハマスの殲滅」を口実にした、無差別殺りくだと思います。そして、「力ずく」での対応は、血と涙が流れるばかりで、決して問題は解決できないのだ…とも思います。もし力ずくで問題が解決するなら、圧倒的な力を持つイスラエル、とっくに解決していると思います。

イスラエルの暴挙を周りの国々が止めなければいけないと思います。でも、世界一の軍事大国・アメリカは、ユダヤ系アメリカ人の政治的影響力を背景に、イスラエルを止められていません。そして日本はそのアメリカの属国も同然…。日本ではそもそも、ガザの悲惨な状況すら十分に報道されていません。
厳しい状況だと思います。

れいコラム No.26 パレスチナとイスラエル(AI自動生成) #パレスチナ問題

【連載】れいコラム No.25 #学校の図書室

子どもの小学校に「図書ボランティア」という活動があります。図書室の本の修理や整理、飾りつけなどの工作、読み聞かせなどを行うもので、私は今年から参加しています。

ページが何枚も取れたり破れたりしている本も少なくありません。のりやテープで修理して、大事に使い続けています。どの本も基本1冊しかないので、今子どもの間で人気のある本は、4人、5人と順番待ちになったりしています。

予想以上にたくさんの子ども達が図書室に来てくれる事にも驚きました。授業の合間の短い休み時間にワーッと入ってきて、楽しそうに本を選んで借りていきます。時には、授業中のはずの時間にフラッと1人で来て、図書の先生と話していく子どももいます。

先生は「図書室は、居場所がなくなり教室や校舎から脱走する子の最後の砦なので、来る子には『福祉的に対応』したいと私は考えています」と言います。授業のように目標地点に引き上げる「教育的対応」に対し、「子どもの安全と幸福を最優先する」対応を目指す、と説明されました。

そんな先生の姿勢に、親として感謝の気持ちを感じつつ、学校に図書室があってよかった…と思います。使い古された本が一杯の、普通の教室1個分くらいの大きさしかない小さな図書室ですが、学校の中のオアシスのように、特別な空間と役割になっていると思います。
図書ボランティアは、そんな図書室の空気を感じつつ、本を通じて子ども達に関われる、とても楽しい活動です。

#学校の図書室 #埼玉県 #れいコラム

【連載】れいコラム No.24 #保育

いつもこのコラムを連載させて頂いている、週刊「とばめぐみニュース」。2週間前に発行された No.228 号でとば議員が詳しく取り上げたのが、さいたま市の「放課後子ども居場所事業」(仮称)です。
この事業の問題点は、ごく簡単にとらえるなら、誰でも利用できるようにするかわりに子ども達の「保育」を放棄して、「物理的な居場所提供&ただの見守り」にすり替える、という点だと思います。

先日、子どもの学童を経由して、この事業についてのアンケートに回答するよう市からプリントが来たので、回答しました。
「就労要件を満たさずとも、月4千円で17時まで子どもが小学校内で過ごせる事業があれば利用したいか?」との趣旨の設問がありました。「子どもを保育する」という表現をうまく避け、保護者の負担軽減ばかり強調する文章に、ずるさを感じました。「多くの保護者が希望しているので進めます」と言うための誘導か?と疑いました。

活気にあふれ、思った事が即言葉や行動につながるのが子どもです。子どもの集団には日々、ケンカやいわゆる「ヒヤリ・ハット」 な事、予期せぬ出来事が色々と起きるのが当たり前です。だからこそ学童保育には定員が設定され、指導員が子ども達に関わり、安心・安全な集団にしています。
個々の指導員のキャリア、あるいは人数自体が不足するなどして、指導員の影響力が弱まると、たちどころに子どもの集団は不安定になっていきます。力のある一部の子が集団を牛耳るようになったり。悪ノリ、悪ふざけ、いじわるなどで嫌な思いをさせる子ども、させられる子どもが出てきたり。物が壊される事が多くなったり、場合によってはけが人が出たりもします。私と子ども達は、これまでの10年間で身をもってその事を体験してきました。

私達保護者が必要としているものは、「物理的な居場所&ただの見守り」ではなく、自分に代わって責任をもって子どもを預かり、育んでくれる「保育」 であり、安心・安全な子どもの居場所です。

【連載】れいコラム No.23「放置」とは違います #県虐待禁止条例

(このコラムを最初に書いた10月7日時点、埼玉県議会で自民党が提出したある条例案に、日本全国がびっくりしていました。事の顛末も踏まえ、加筆して改めてアップさせて頂きます。)

埼玉県では、子どもは1人で家にいてはいけない。子どもだけで外で遊ぶのもいけない、登下校さえもいけない。なぜなら、それは「放置」であり「虐待」だから…。 「放置や置き去りによる悲惨な事件をなくすため」と称して、自民党埼玉県議団がそんな条例案を、 9/28に突如として提起しました。
自民党+公明党の2党によって数の力で委員会を押し通し、10/13の本会議でも同様に2党で可決する構えを見せました。

共産党などの質問により、多くの子育て家庭で普通に行われている光景が「放置」「虐待」と決めつけられる事が明らかになりました。議会はもちろん日本全国が驚き、マスコミも 「頭おかしい条例」 などと大きく報じました。
新婦人、さいたま市PTA協議会など多くの市民団体が異議を唱え、わずか1週間少々のうちに反対署名が10万筆を超えました。
さすがの自民党も慌てて、本会議での採決は見送られ、団長の田村たくみ氏が 「説明不足」 をわびる、という顛末になりました。

子育ての実際を知ろうともせず、何と雑な発想か…と驚きます。共産党など多くの人が、保護者にあまりに非現実的な負担を一方的に押し付ける内容に怒りの声を上げていました。でも私は、子ども達の自由を大きく制限する内容である事に、まず驚きと憤りを感じました。
子どもとその保護者の意思や判断、選択を尊重せず、現実離れした広範な禁止事項を突然定め、負担を強制してはばからない。直近の他の問題でも感じてきた、自民党による 「人権」を軽視する政治が、典型的に表れたと思います。
子どもや保護者(特に母親)を特になめている事の表れでもあると思います。例えば「高齢者による悲惨な事故をなくすため、〇〇歳になったら免許強制返納!」などという事は、彼らは言わないはずです。

当然ですが虐待をなくすためには、貧困対策や親も含めた子育て支援こそ必要であり、政治の仕事だと思います。自民党埼玉県議団は、ろくに現実を把握もできていないのに上からズレた禁止事項を振りかざしている暇があるなら、本気を見せてほしいと思います。賛成した公明党も。

【連載】れいコラム No.22 ファミサポのIさん #ファミサポ

6年前、子どもが2人ともまだ乳幼児だった頃からずっと私の子育てをサポートして下さっている、I さんという方がいます。
市の「ファミリーサポート事業(ファミサポ)」を通じてお世話になっています。

仕事で帰宅が遅い日、私の代わりに学童に迎えに行き、ご自宅で手作りの夕飯を食べさせて預かって下さいます。習い事の送迎をお願いする日もあります。
I さんは子どもの良い所を見つけてはほめてくれ、「ママさん本当に頑張ってます!」と私の事も応援してくれ、今では私の分身のように思っています。

ファミサポ事業は、保育園などの施設だけでは届かない所で子育て家庭を支えてくれる、なくてはならない事業だと思います。それを支えているのは I さんのような有志の方々です。

「有償ボランティア」 という立場になり、その報酬は1時間700円と超低額です。またファミサポのホームページによると、活動中にコロナ感染しても保険対象外で補償はないそうです。

子どもや仕事の都合で、直前の依頼や、依頼内容のキャンセルや変更が多いです。困った時だけ不定期で依頼される方も少なくないそうです。よって、別の仕事と掛け持ちするのが難しい仕事ですが、有償ボランティアという事で 「仕事」とし成立する形にはなっていないのが現状です。

市はボランティアの「善意任せ」に留まらず、報酬や補償を厚くして事業をもっと充実させていってほしいです。

【連載】れいコラム No.21 「#採算」という考え方

先日の連休中に仕事が入り、子どもを見てあげられないので実家に連れて行きました。
実家は神奈川県の茅ケ崎市にある 「湘南ライフタウン」 という大きな住宅街の中にあります。どの鉄道の駅からもたっぷり離れていますが、神奈中バスが入っており、朝夜の通勤時間帯以外でも1時間に数本の便があり、行先も4駅、色々なコースがあります。

実家で父親と雑談している際、「ここ(実家)は駅からは遠いけれど、バスが充実しているからいいね」 という話になりました。
「私が住んでいる見沼区は、特に南側の方は、駅から遠くバスも少ない地域が結構あるよ」
「コミュニティバスをもっと走らせてほしいけど、「収支率40%」の要件があるんだよ」
すると父が、
「今後、人口も税収も減っていくので、不採算路線の廃止や縮小は必然だろう」
との趣旨の事を言い、うーん、と考えさせられました。

「採算」という言葉を出されると、しょんぼり諦めそうになる自分がいます。
長年企業で働き、求められてきた考え方だからだと思います。

でも、そもそも自治体の目的は利潤を生み出す事ではないはずです。
私達も自治体に雇用されているわけではなく。逆に自治体に税金を託しているのが私達で。
自治体が追求するものは、利潤ではなく住民の人権のはずだと思うのです。

使えるお金に上限があるのは当然ですが、可能な限り住民に広く還元するのが筋だと思います。
今、さいたま市内のあちこちで進んでいる、一体どこの誰のため?と不思議に思うような大規模開発。
それにたっぷりつぎ込んでいるお金には手を付けずに、福祉関係の課題にだけそのセリフを言うのは、利権優先の言い訳でしかないと思うのです。

例えばバス網を充実させる事により得られるものは、収支率よりもっと大きいもののはずです。
「どこに住んでも、幾つになっても、車がなくても、安心して暮らせる」それは人権であり、地域振興であり、格差是正でもあり、子育て支援にも繋がり、景気対策にも繋がっていくのではないのでしょうか。